幕末、安政大地震で大破したロシアの軍艦ディアナ号は嵐で富士市沖に漂着。
村人たちは500人もの船員全員を救助!
嘉永(かえい)7年(1854年)11月、我が国最大級の安政の大地震が起きました。この日、下田港には、日本との友好関係を求めるために、プチャーチン提督のロシア軍艦ディアナ号が入港していました。ディアナ号は、地震による津波で大破し、船の修理のため、戸田港に向けて出航しました。しかし、運悪く途中で嵐に遭い、船は富士市宮島沖まで流されてしまいました。漂着したディアナ号を発見した人々は、船員たちを救うために、三日間かけて約500人の船員全員を助け出しました。
富士市は日露友好の礎
自分たちも地震で大きな被害を受けているのにもかかわらず、ロシアの船員のために、小屋をつくったり、毛布や着物、食糧などを持ち込んだりして手を差し伸べました。プチャーチンは、船員を救った人々の親切心を、生涯忘れなかったといいます。プチャーチン家の紋章にはロシア軍人とともに刀を差した日本人が描かれています。